2023.07.09
先生から
名東区・守山区・長久手市・尾張旭市の皆様こんにちは。
清水屋藤が丘店3Fにある学習塾、明倫ゼミナール藤が丘校です。
当たり前ですが、多くの知識を持っている、というのは基本的には良いことです。
「博学多才」「博覧強記」「博識」「該博」などなど、
少し言葉を探すだけでも、幅広い知識を有することを形容する言葉は数多あり、
その中には知識の豊富さと能力の高さを同一視するような言葉も多々見受けられます。
では、物事を理解する、という方向に目を向けるとどうでしょう。
「腑に落ちる」「合点がいく」「納得」「得心」と、
物事の意味や内容が呑み込めたかどうか?に焦点を当てた言葉が多いことに気付きます。
二つの違いはいったい何でしょうか。少し考えてみましょう。
さて、中国宋代の頃の詩論家に、厳羽(げんう)という方がいらっしゃいます。
厳羽の著書、『滄浪詩話(そうろうしわ)』には、「一知半解」という言葉が登場します。
読んで字のごとく、「一つのことを知っているが、半分しか理解していない」状態を指し、
転じて、「物事を十分に理解していないこと」を指す言葉として用いられます。
厳羽の言葉に倣えば、
「知っている」と「理解している」の間には一定の隔たりがある、ということになりそうです。
実はこれ、つい先日、塾生と面談をしている時に偶然思い出した言葉だったのですが、
「用語は知っている(覚えている)」のに「説明は出来ない」という方、結構多いですよね。
説明が出来ないということは、自分の中で物事の全体像・筋道を掴めていないということですから、
そうすると「習った通りにしかそれを使うことができない」。
例えば、形式的な見分け方だけ覚えてもテスト本番では同じ例が全然出題されない、ということが多々ある、
国語の文法問題なんかが苦手な方が多いのではないでしょうか。
結局、「知っている」で満足してしまうと、
試験本番なんかには微妙に役に立たない知識ばかりが残っていくことになるわけです。
やはり、正しく理解するための努力を惜しんではいけませんね。
これまでの勉強内容で「理解」出来ていないものを正しく消化するには、夏休みは良いタイミングです。
一緒に頑張りましょう。