こんにちは。
明倫ゼミナール中学受験コースです。
今回は前回の続きで、
北里柴三郎の紹介です。
北里柴三郎は、
江戸時代末期に現在の熊本県で生まれました。
明治時代には国費留学生としてドイツに渡り、
最新の細菌学を学びました。
北里柴三郎の先生であったコッホは、
いくつもの実験を北里柴三郎に任せ、
研究熱心であった北里は昼夜を問わず実験・研究をしていたそうです。
北里柴三郎はコッホをとても尊敬しており、
彼が亡くなったことを聞いた時には、
北里研究所にコッホの髪をまつる祠(ほこら)を建てたほどです。
世界的な細菌学者となった北里柴三郎でしたが、
明治政府からの協力を得ることができませんでした。
明治政府は「富国強兵」を掲げており、
医療より工業や軍備拡大に力を注ぎたかったのです。
北里柴三郎のために研究所を用意するという国もあったそうですが、
北里柴三郎は、研究は「自分のためのものでなく、母国のためのもの」として、
日本での研究にこだわりました。
そんな北里柴三郎を支援したのが、
肖像が一万円札のデザインにもなった福沢諭吉です。
福沢諭吉は、伝染病研究所設立のための土地を無償で貸しました。
また「国に頼らずに研究ができるように、あらかじめ資金をためておくことが必要だ」と
指導したそうです。
その教えが生きたのは、
伝染病研究所が、文部省管轄の東京帝国大学(現在の東京大学)に合併された時でした。
北里柴三郎は文部省管轄になることで、
実際に伝染病に苦しむ人々を救う行動よりも、
学問としての研究が重視されるのではないかと危惧し、
今までためていたお金と寄付金を使い、
自分の考えで研究できる北里研究所を設立したのです。
北里研究所は、
赤痢菌を発見した志賀潔や黄熱病の研究で有名な野口英世(現在の千円札の肖像)を輩出しました。
この由緒ある研究所は現在も存続しています。
北里大学は、北里研究所創設五十周年を記念して設立された大学であり、
2015年ノーベル生理学・医学賞を受賞した大村智氏は、
北里研究所の所長や北里大学の教授を務めました。