私立中学受験科ブログ

新1万円札のデザインに渋沢栄一

こんにちは。

明倫ゼミナール中学受験コースです。


7月3日から新紙幣が発行されます。

10,000円札のデザインに取り入れられた渋沢栄一について紹介します。

渋沢栄一は、「日本資本主義の父」と呼ばれ、

銀行の設立をはじめ、500近い企業・団体の設立に関わりました。

なぜ、そんなに多くの企業や団体の設立に関わったのでしょうか。

渋沢栄一は、私企業(一般の会社)の利益と公益(社会全体の利益)の追求を

両立させなければならないという考えを持っていました。

ですから、社会の発展のために、

自らが得た利益は次の企業の設立などに使っていたのです。

渋沢栄一が、日本の近代化のために、

銀行などの設立が必要だと考えるもとになったのは、

江戸時代、幕府使節団の一員として、

パリ万博に行ったことだと考えられています。

そこで、ヨーロッパの進んだ技術や社会制度を目の当たりにしたのです。


明治政府の役人となっていた渋沢栄一は『廃藩置県』にも関わっています。

廃藩置県は、江戸時代の地方の政治体制であった藩を廃止して、

明治政府から任命された役人が県を治めるという制度への変更でした。

その目的は「明治政府の中央集権化」と6年生は学習しましたね。

藩を治めていた大名たちは、領地と領民を取られるわけですから、

激しく抵抗したのではないかと想像されがちですが、

実はそうではなかったらしいのです。

各藩は、幕末に外国の攻撃に備えて軍備を拡張したため、

どこも財政難に苦しんでいました。

廃藩の条件はその借金を明治政府が引き受けてくれるというものだったからです。

しかし、明治政府の金庫には各藩の抱えていた借金を返せるだけのお金はありませんでした。

そこで、渋沢栄一は、ヨーロッパで学んだ「公債」を採用しました。

公債というのは、簡単に言えば政府の借金です。

藩は、主に商人から借金をしていましたが、

その借金を公債として政府の借金に置き換えたのです。

このことによって大名は借金返済に追われなくなりました。

商人にとっては政府が徐々に返済してくれるし(実際は、踏み倒された借金もあったようですが)、

公債は売買が可能なので、

すぐに現金に換えたければ売ってしまうこともできると歓迎されました。

渋沢栄一は国際親善にも貢献しています。

アメリカと関係が悪化していた1927年に、

アメリカ人宣教師から日米親善を願って贈られた「青い目の人形」の受け入れにも力を注ぎました。

2024年7月

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