こんにちは。
明倫ゼミナール中学受験コースです。
奈良市にある富雄丸山古墳では、
230センチメートルを超える国内最大の蛇行剣(波うった鉄剣)と、
長さが60センチメートルを超える盾のような形をした銅鏡が見つかったと、
昨年1月に発表されていました。
その富雄丸山古墳で今度は、
青銅鏡3枚と竪櫛(たてぐし)と呼ばれるうるし塗りのくしが9点が、
棺(ひつぎ:遺体の入れ物)から見つかりました。
青銅鏡の1枚は卑弥呼が魏から授かった「三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)」
の可能性があるそうです。
棺の内部は水銀朱(すいぎんしゅ)という赤色に染まっていました。
古代中国で、赤色は魔除けになると考えられていたことが伝わったと考えられます。
鏡やくしも魔除けになると考えられていたので置かれていたのではないかということです。
富雄丸山古墳から国宝級の埋葬品が見つかっていますが、
この富雄丸山古墳が「空白の4世紀」を埋めるのではないかと期待されています。
3世紀の日本の様子は中国の書物『魏志』倭人伝に記されています。
邪馬台国の卑弥呼のことですね。
その後の日本について書かれた中国の書物は、
倭の五王(日本の五人の王)の使いが来たことが記されている『宋書』倭国伝です。
倭の五王がいた時代は5世紀だと考えられています。
4世紀においては好太王碑(こうたいおうひ:好太王の業績を記した石碑)に、
高句麗(こうくり:現在の朝鮮半島の中部・北部と中国の一部を領土とした国)を
攻めた日本が敗れたと記されているだけです。
『魏志』倭人伝には、日本は30くらいの国に分かれていたと書かれています。
『宋書』倭国伝に記されている倭の五王の一人(5番目)武は雄略天皇と考えられています。
新6年生は雄略天皇を「ワカタケル」で習っていますね。
ワカタケル大王(おおきみ)の権力は、九州から関東地方まで広がっていたと考えられています。
4世紀後半につくられた富雄丸山古墳の発掘調査が進むことで、
いくつにも分かれていた日本が、
どのようにして大王を中心とした政治体制に変わっていったかが、
わかるかもしれないのですね。