こんにちは。
明倫ゼミナール私立中学受験科です。
「藤原氏‐権力中枢の一族‐」という本が売れているようです。
中学入試において「藤原鎌足」「藤原道長」「藤原頼通」は頻出です。
入試問題に、道長の「この世をばわが世とぞ思ふ 望月の欠けたることもなしと思へば」の歌も、よく出てきます。
先日、NHKBSプレミアムでは、藤原道長が現代病と言われる『糖尿病』で苦しんだことを紹介していました。
1994年第15回国際糖尿病会議が神戸で開催された記念の切手は、藤原道長の肖像が使われています。
歴史に興味関心を持つきっかけになってもらえることを願って、道長の生活を取り上げます!
藤原道長と言えば、娘を天皇の后にすることで摂関政治を行った人物として有名ですね。
前述の「この世をば~」の歌を詠んだという記載は、藤原実資の書いた「小右記」にあります。
「小右記」には、道長が「やたらと水を飲む」とか、「目が見えなくなっていった」という記述があるそうです。
喉が渇くとか、目が見えなくなるといった症状は、糖尿病の症状として表れます。
貴族の中で最高の位に就き、優雅な生活をしていたために、糖尿病にかかったのだろうと思われがちですが、そうではないらしいのです。
平安貴族たちは、食生活において当時の庶民よりもぜいたくなものを食べていました。
白米を食べることもありましたし、その他の穀物、野菜、海藻、魚介類、果物、時には獣肉など、豊かな食材が食卓に上ったようです。
しかし、現代の食事と比べれば、カロリーの低いものばかりでした。
NHKBSプレミアムの放送でも、食生活が糖尿病を引き起こした主たる原因とはしていませんでした。
ただ、料理に味付けはされておらず、塩や酢、ひしほ(しょうゆやみそのような発酵調味料)を使って自分の好みで味付けをしたようです。
自分が病気で濃い味になっていっても、なかなか気づけないかもしれませんし、自分好みの味付けのため、ついつい食べ過ぎてしまったのではないのかなと思います。
食事の時に出される酒も糖尿病を引き起こした原因かもしれません。
現代のような清酒が出てきたのは、戦国時代になってからと言われています。
平安時代の酒は、にごり酒で、現代の清酒と比べると、糖分がずっと多かったようです。
塩分と糖分は多く摂っていたのかもしれません。
食生活の他に、政治の世界の最高権力者であったことも糖尿病を発症した原因と考えられます。
藤原道長は、大臣たちの意見を取りまとめて、天皇に報告をしなければなりません。
そのための会議が、1日10時間以上続くことも、連日になることもあったらしいのです。
午前中に打ち合わせをして、午後から深夜まで会議という日が続くことがあったそうです。
道長の日記「御堂関白記」(『世界の記憶』に指定されています)には、連日の会議で、家に帰れず、職場に泊まっていったことも多々あると記録されています。
さらに、平安時代には、まだ占いが用いられており、行事の日時を占いで決めたり、「方違え(かたたがえ)」と言って、占いによって出た不吉な方角を避けるために遠回りして目的地に行くなどの風習がありました。
これによって予定通りに進まないということも多かったことでしょう。
このような不規則な生活や過労、ストレスが、免疫力を低下させ、病気を発症させた可能性は十分ありますね。
寝殿造の大邸宅をバックに、庭の池に船を浮かべて、「この世をば~」などと満足気に詠んでいた姿を想像しますが、日常は全く違った生活をしていたようです。
そして、この歌を詠んだ頃には、糖尿病のために「望月(満月)」を見ることはできなかったのでは?とも言われています。