私立中学受験科ブログ

大黒屋光太夫とラクスマン

こんにちは。

愛知県の私立中学校や県外難関中学校の受験をお考えの小学生とそのご家庭をサポートする、明倫ゼミナール私立中学受験科です。

受験科生の皆さんは、大黒屋光太夫を知っていますか?

今年は、鈴鹿中等教育学校や暁中学校、鈴鹿市考古博物館など、三重県に行く機会がありました。

そのついでに行ったのが、大黒屋光太夫記念館です。

6年生は、江戸時代にロシアからラクスマンが根室にやって来たということを習いましたね。

そのラクスマンにも関係ある人物ですよ。


大黒屋光太夫が、白子浦(現在の三重県鈴鹿市)から江戸に向かって、米や木綿、紙、漆器、薬などの商品を積んで出航したのが12月。

静岡県沖で嵐に遭って、船は遭難、漂流しました。

米を積んでいたから食糧は何とかなったものの飲み水は飲みつくしてしまいました。

海水は飲めたものでなく、飲めば塩分のせいで体から水分がかえってのどが渇いてしまいます。

雨水をためて何とかしのいで、島が見えたのが7月になってから。

着いたのはアムチトカ島という北海道よりも北の島。

そこで4年ほど暮らし、カムチャッカ半島に脱出し、その後シベリアに移動し、皇帝に帰国の許可を直訴するためにロシアを横断して、当時の首都ぺテルブルクへ向かいました。

当時のロシア皇帝は、女帝エカテリーナⅡ世。

ロシア人でない(当時のドイツ、現ポーランド生まれ)のに皇帝の座に就き、領土拡大を果たした女帝です。

(エルミタージュ美術館は、かつてのエカテリーナⅡ世の王宮であり、収集品を収蔵しています。)

このエカテリーナⅡ世が、光太夫をあわれんで日本への帰国を許しました。

光太夫を日本に連れて帰ったのがラクスマン一行です。


記念館自体は派手な展示物はありませんが、

何人もの仲間の船員を失ったり、病気が原因で一緒に帰ることがかなわなかった仲間との別れ。

ロシア語が全くわからない状態から、「『エト・チョワ』というのは、どうやら、『これは何だ?』の意味のようだとわかって、「エト・チョワ」とさまざまなものをロシア人に聞いてロシア語を勉強したなど、興味深いエピソードがありました。


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2024年7月

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