こんにちは。
今回の時事問題対策は、7月登録が決まった福岡県の「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」を扱います。
この遺産群は、福岡県の沖ノ島や大島、宗像市・福津市の沿岸部などに点在しています。
「古代祭祀の記録を保存する類まれな収蔵庫」として評価されました。
一か所で、古代の祭祀(神様をまつること)の時代変化が見られるということで貴重な場所なのです。
岩に神宿るとした信仰から祠を造るようになっていった変遷です。
沖ノ島は、朝鮮半島と北九州の間にあり、道標(みちしるべ)となる島であり、航海の安全を祈願する『神宿る島』として信仰の対象になっていました。
沖ノ島は、島自体がご神体(神様が宿っている場所)のため、神職以外は入ることができず、島の草木一本や石一個も持ち出すことはできず、島で見聞きしたことを話してもならないという場所です。
世界文化遺産に指定された後も一般の人が入ることは禁じられています。
ただし、学術調査で出土した80000点もの神をまつるために用いた祭具や奉納品は、持ち出され、国宝に指定されています。
その国宝は、宗像大社神宝館で見ることができます。
その中には、中国や朝鮮半島のものはもちろん、ペルシアのガラス製品などもあることから、『海の正倉院』とも呼ばれます。
その沖ノ島を遠くから拝む場所が、大島にある宗像大社沖津遥拝所(むなかたたいしゃおきつようはいじょ)です。
伊勢神宮にまつられている天照大神(あまてらすおおみかみ)の三柱(神は人でなく柱で表す)娘神が、沖ノ島、大島、宗像大社(福岡県宗像市)に、それぞれまつられるようになりました。
古代の自然信仰に、日本の神道が結びついたものです。
やってみよう!
1 2017年世界文化遺産に登録された「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺跡群」がある都道府県を答えなさい。
2 沖ノ島からは、中国や朝鮮からのものだけでなく、遠くペルシアのものも伝わっていることから、何と呼ばれたか、5文字で書きなさい。
3 沖の島の祭祀は、9世紀ごろから行われなくなりました。これは9世紀末に当時の日本の政策に関係あります。
どのような政策が影響したのでしょうか。10字以内で答えなさい。
4 宗像一族が祭祀を任されるようになったのは、ある技術に優れており、大陸との交易に欠かせない技術であり、一族であったからと考えられます。その技術とは次のどれか、選びなさい。
ア 戦闘術 イ 航海術 ウ 占星術 エ 交渉術 オ 錬金術
5 2017年現在の日本の世界遺産の数は、次のうちの数に一番近いか答えなさい。
ア 10 イ 15 ウ 20 エ 25 オ 30
答え
1 福岡県
2 海の正倉院
3 遣唐使の停止
4 イ 当時は、帆もない、手こぎの船で、対馬海流に流されないように渡らなければならなかった。
5 ウ 2017年現在は、自然遺産4、文化遺産17の21件